長重郎の歩み


   こちらのコーナーでは、長重郎の今日までの歴史を紹介いたします。

  さかのぼる事、明治時代。
 長重郎は、茶屋(くつろぎ処)として利用されていました。
 当時の長重郎は、主に地元の漁師さん等が陸に上がって来た時に、お酒・お寿司などでもてなしていたそうです。お寿司を始めた訳は、つまみにも、食事にもなるからと言うことです。
 新鮮な魚が獲れると言う利点もあったようです。
当時、長重郎では女性従業員が多く、お寿司も女将さんが握っていたようです。
 それが、長重郎のお寿司の始まりでした。
 2代目は1人娘だった為、となり町の千倉からお婿さんを迎えることとなりました。
 このお婿さんは、婿入りの際に牛を1頭牽いて来たそうです。
 この代では、奥さんがお寿司を握り、旦那さんは連れてきた1頭の牛から牛乳屋さんを始め(当時長重郎で、牛乳殺菌の機械購入し白浜の牛屋さんの牛乳殺菌を一手に引き受けていたそうです)長重郎の地盤を築いたようです。
 3代目に替わっても奥さんがお寿司の出前を・旦那さんは牛乳屋の仕事を2代目から受け継いだそうです。
 しかし戦争が始まり旦那さんは出兵してしまい、残った奥さんは食べ物がろくにない為仕事は、なんでもしたそうです当時お米が手に入らなく、おそばを細かくしてお米代わりに握ってお寿司を作ったこともあるそうです。
 終戦後、3代目の奥さんと2代目夫婦で下宿屋を始め(茶屋をやっていたので、部屋は在ったようです)たようですが、戦争から戻った旦那さんと、心機一転八百屋を始めたそうです。
 4代目(現主人)になり当初は八百屋を継ぎ、お寿司の出前と夏季民宿を営んでいたのですが、八百屋を辞めお寿司と年間民宿へと方向を変えてゆきました。
 当時来ていたお客様から「お金を気にしないで、家族におなか一杯寿司を食べさせてやりたい…」その一言から主人は、「儲け考えずお客様に喜んでもらいたい…」とお寿司の食べ放題のコースを創り四季民宿長重郎が誕生しました。



※豆知識※
 お気づきのお客様もいらっしゃるかもしれませんが、初代から3代目までお寿司を握って居たのは皆奥さんなんです。4代目(現主人)になり夫婦で握るようになりました。
 食べ放題コースを始めたのは、昭和52年頃だそうです。
 四季民宿長重郎の寿司食べ放題コースを始めた当時は、1人3,600円で受けていたそうです。

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